蟲食べる日々

昆虫食を中心に記事を書いていきます。

人生は積分である

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 どうも、蟲助です。

 ここ最近は生活が忙しく、また昆虫を手に入れる機会もなかったというわけでとんと更新しておりませんでした。

 さて、今回の記事ですが、タイトル通りまったく昆虫とは関係ありません。

 予めその点をご了承の上、楽しんでいただければ幸いです。

 

 ということで今回の記事は、僕が持つ人生観の紹介です。

 格好つけて言うならば、はじめて見つけた自分なりの哲学、といったところでしょうか。

 恥ずかしい限りではありますが、一方で、もしかしたら誰かの思考に影響を与えられるかもしれない。そんな、一握の期待でもって書きます。

 

 事の発端は去年の11月。いつもどおりに勉強を終え、寝ようとしたところである着想を得ました。より正確に言えばそれより1週間ほど前から既に人生は積分でモデル化できないか、と考えており、またある程度完成していたのですが……どうにも腑に落ちない部分があり煩悶としておりました。それが、ふとした瞬間にうまくまとまったのです。

 さて、肝心の積分による人生のモデル化ですが、これはおそらく図を見てもらったほうが早いかと思います。なので、下手なものではありますが以下にイメージ図を。

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人生のイメージ。

 ご覧いただければお分かりでしょうが、上図は区分求積法ですね。

 かねてより無性に好きだった区分求積法、これを浪人して再び解いているうちにふと思いついたのです。微小な幅に区切られた面積が無限に足し合わされ、ついには関数の積分に至る。これはまるで、人生そのものではないか、と。

 思いついた当初は意味を持ったのは関数の積分部分までだったのですが、1週間の思考の熟成の結果、意味のなさそうな空白部分に意味を見出せました。

 それでは以下、図そのものの説明を。なお、僕自身は数学はまだまだ初学者の域であり、とても正確性は担保できないので、そこのところ目をつぶっていただければ幸いです。

 

 さて、それではさっそく図に出てくる文字や数字に人生としてなぞらえた場合の意味を与えていきましょう。区分求積法と言えば、やはりリーマン和の考え方が欠かせません。リーマン和とはすなわち図中にもある、微小区間(dx)を底辺、グラフのy成分の値を高さとした長方形の総和のことであり、微小区間の幅を1/nとしています。

 これを前提として、では、人生の始まりと終わりとは一体何でしょうか? 究極的に言ってしまえば、人生というのは、大雑把には(少なくとも自らが認知して初めて存在する点を踏まえれば)自らの経験の総体です。経験、すなわち己が行動・思索が脳に記憶されていること。これこそが人生の正体ではないでしょうか。例えば、生まれて間もない頃はまるで記憶もないが、しかし、その段階を経たという結果があって今の自分がある。そこで身に着けた認識、感覚が意識的もしくは無意識的に今に引き継がれており、その無意識をも含めて経験へと収斂する。人は忘れるものだから、何もかも覚えてはいられない。だが、かつてあったことが自らの行動を規定することはしばしばあります。そうしたものの総体として経験という概念が存在しているのです。

 そう考えると、この世に生まれ落ちたその瞬間こそが人生の始点になります。それまでは自分は(物理的には)存在しえないわけですから、数字で例えるならばこれを0としましょう。対して、経験が不可逆的に途切れ、なくなるのは経験が宿った脳の持ち主が死に至るときです。

 人生の全時間量をnとすると、生まれた時の時間は0ですから、0/n = 0です。それから、日、時間、分、秒……単位はいくらでも小さくできますが、とにかく時を重ねていき(1/n, 2/n, 3/n,...)、そして最終的に自らの持てるすべての時間を使い果たし、臨終を迎える。この時、n/n = 1となります。つまり分子と分母、それぞれの数(時間)が一致しているから終わりだ、という考え方ですね。自らの運命として持ち得る時間(分母のn)を超えて生きることはできないし、人生の全時間量は当人からは知ることができない、とも言い換えられます。

 このように考えると、次のように数字と意味とを対応させることができます。

 n = '生きている時間全体'

 0 = 0/n ='発生'

 1 = n/n ='死'

 人生というのはつまり、経験そのものの総体。では、経験は時間と共に何に依って生まれるのか。経験するには、まずは何らかの行動がなければならない。例えば歩いたり、人と喋ったり、なにか食べたり、運動したり、思索にふけったり……とにかく、行動ありきで経験は生まれます。そして行動というのは意思することから始まり、行動次第で自らの未来というのは如何様にも変わる可能性がある。相補的に働く行動と経験をうまく表そうとすれば、二次元においてはすなわちグラフを形づくる関数そのものになるのではないでしょうか。

 行動には未来を変え得る力がある。その根底を考えていくと、行動しようとするその一瞬、つまり、意思するということは方向性を持つと考えられます。すなわち、意思はベクトルを持つのであり、意思の連続によって行動とその変動が生じる。そして、経験というのはあくまで行動の結果であり、行動の変化によって経験の量もまた変化する。これらの性質というのは、あたかも微分積分のようではないでしょうか。

 そこで、行動を連続関数と考え、微分積分的な考え方を導入する。これにより、以下のようになります。

 f'(x) = '意思'

 f(x) = '行動'

 f(x)dx = '経験'

図では経験 = experienceを省略し、Eとあらわしています。

f(x)dxはつまり微小区間による長方形であり、それでは経験というのは瞬間的なものじゃないか、と思われるかもしれません。が、行動の示す関数は連続で、かつ時間と共にxの値が変化していきますから、それに伴って連続的に変化します。だからこそ、あえて人生を経験の総体とあらわしていたのですね。そう、人生は経験の総体。

 これも数式と照らし合わせておくと、次のようになります。

 ₀∫¹f(x)dx = '人生'

 

 ……ここまでで大方の説明は終わりましたが、最後積分範囲の外、空白についても考えてみましょう。

 経験は行動により増減します。そして人は成長していく中で経験を積み、やがて老成する。しかし、その度合いには個人差があるからして、決してみな同じような人生は送らない。そして、ごくまれにはとてつもない成功を遂げる人もいる。また、幼少期の経験は時として往々にして未来に多大なる影響を及ぼします。そんなことを考えているうちに、ふと思いつきました。この空白とはつまり、可能性なのではないか、と。あるいはかつての行動が違ったならば、自分は今頃もっと多くの経験を得られたのかもしれない……そうした具合で、座標空間上の空白はまさに、ありえたかもしれない可能性、それを示しているのです。これも、図の方では可能性 = possibilityをPと省略してあらわしています。

 

 さて、最後にいよいよ区分求積法に立ち返りましょう。

 区分求積法の公式は、図にもありますが

 lim n→∞ nΣk=1 f(k/n)*1/n = ₀∫¹f(x)dx

ですね。f(k/n)*1/nの面積をk=1からk=nまで足し合わせる。更にこの際、nを無限大に飛ばしていくとx∈[0,1]におけるf(x)の定積分そのものになる。これを、今までに数字に与えてきた意味に置き換えて表します。

 すると……

 lim n→∞ nΣk=1 f(k/n)*1/n = ₀∫¹f(x)dx = ∫[(発生)→(死)](経験) = (人生)

という結果が得られるのです。

 この式により、すなわち人生とは積分である。僕はそう考えています。

 

 さて、今回の記事はいかがでしたでしょうか。抽象的なことも憚らず書いたため、まったく読みにくいものになってしまったと思います。申し訳ない。

 がしかし、それにしてもこの人生は積分であるという考えは他人に知ってもらいたかった。その誘惑には抗いがたく、拙いながら説明させていただきました。

 僕なりに解釈してみるならば、人生は結局、経験の集合に過ぎません。そして、経験を得るには行動が不可欠です。世の中、何かにつけて大変なことは多い。辛いことも、恥ずかしいことも、悲しいこともある。そうした中で何か行動していくというのは実に難しいことです。しかし、そこであえて行動すれば人生は変わるかもしれない。

 そう考えてみると、どうでしょう? 一度きりの人生、死ぬまでに得られる経験の集合。それを味わい尽くすために、思い切って新たなことに挑戦してみるのもありなんじゃないでしょうか?

 

 ここまでお読みいただきありがとうございました。それでは、また次の記事で。