蟲食べる日々

昆虫食を中心に記事を書いていきます。

人生は積分である

お久しぶりです。蟲助です。

ここ最近は生活が忙しく、また昆虫を手に入れる機会もなかったというわけでとんと更新しておりませんでした。

さて、そこでようやく書き出すわけなのですが……その内容というのが、まったく昆虫とは関係ないものなのです。これまでとは全く毛色が違います。

予めその点をご了承の上、楽しんでいただければ幸いでございます。

 

ということで今回の記事はずばり、僕が持つ人生についての考え方の紹介です。

……とはいえ僕というのは失敗ばかりしてきた上、学もない。そんな人間であるから、これから記しますは実に未熟なものであるかもしれません。それでも、タイトルにあるような「人生は積分である」という考えは、あえてかっこつけて言うならば我が人生においてはじめて見つけた自分なりの哲学、なのでございます。

恥ずかしい限りではありますが、一方で、もしかしたら誰かの思考に影響を与えられるかもしれない。そんな、一握の期待でもって書き連ねていきます。よろしくお願いします。

 

事の発端は去年の11月。いつもどおりに虚無と勉強とが錯綜する一日を終え、寝ようとしたところである直感を得たのです。より正確に言えばそれより1週間ほど前から既に人生は積分でモデル化できないか、と考えており、またある程度完成していたのですが……どうにも腑に落ちない部分があり煩悶としておりました。そこに降ってわいたひらめき。就寝を目前に興奮は冷めやりませんでした。僕がアルキメデスだったならば、夜であろうと駆けまわっていたほどに。

 

さて、肝心の積分による人生のモデル化ですが、これはおそらく図を見てもらったほうが早いかと思います。なので、下手なものではありますが以下にイメージ図を。

f:id:Mushikui:20190526012217j:plain

人生のイメージ。

ご覧いただければ忽ちお分かりでしょうが、そう、これって区分求積法ですね。

かねてより無性に好きだった区分求積法、これを浪人して再び解いているうちにふと思いついたのです。微小な幅に区切られた面積が無限に足し合わされ、ついには関数の積分に至る。これはまるで、人生そのものではないか、と。

思いついた当初は意味を持ったのは関数の積分部分までだったのですが、1週間の思考の熟成の結果、意味のなさそうな空白部分にまで意味を見出せました。

それでは以下、図そのものの説明を。なお、僕自身は数学はまだまだ初学者の域であり、とてもじゃないが正確性は担保できないので、そこのところ目をつぶっていただければ幸いです。

 

さて、それではさっそく図に出てくる文字や数字に人生としてなぞらえた場合の意味を与えていきましょう。区分求積法と言えば、やはりリーマン和の一つの極限として定積分する方法で、そこにはリーマン和の考え方が欠かせません。リーマン和とはすなわち図中にもある、微小区間(dx)を底辺、グラフのy成分の値を高さとした長方形のことであり、ここでは微小区間をの幅を1/nとしています。

これを前提として、では、人生の始まりと終わりとは一体何でしょうか? 究極的に言ってしまえば、人生というのは、大雑把には(少なくとも自らが認知して初めて存在する点を踏まえれば)自らの経験の総体です。経験、すなわち己が行動・思索が脳に記憶されていること。これこそが人生の正体ではないでしょうか。例えば、生まれて間もない頃はまるで記憶もないが、しかし、その段階を経たという結果があって今の自分がある。そこで身に着けた認識、感覚が意識的もしくは無意識的に今に引き継がれており、その無意識をも含めて経験へと収斂する。人は忘れるものだから、何もかも覚えてはいられない。だが、かつてあったことが自らの行動を規定することはしばしばあります。そうしたものの総体として経験という概念が存在しているのです。

そう考えると、この世に生まれ落ちた、あるいは自らという細胞が規定されたその瞬間こそが人生の始点になります。それまでは自分という存在は(物理的には)決して存在しえないわけですから、数字で例えるならばこれを0としましょう。対して、経験が不可逆的に途切れ、なくなるのは経験が宿った脳の持ち主が死に至るときです。

人生の全時間をnとしますと、生まれた時の時間は0ですから、0/n = 0です。それから、日、時間、分、秒……単位はいくらでも小さくできますが、とにかく時を重ねていき(1/n, 2/n, 3/n,...)、そして最終的に自らの持てるすべての時間を使い果たし、臨終を迎える。この時、n/n = 1となります。つまり分子と分母、それぞれの数(時間)が一致しているから終わりだ、という考え方ですね。自らのいわば運命的に持ち得る時間(分母のn)を超えて生きることはできない、とも言い換えられます。

このように考えますと、次のように数字と意味とを対応させることができます。

n = '生きている時間全体'

0 = 0/n ='発生'

1 = n/n ='死'

先ほどもちらっと申し上げましたが、人生というのはつまりは経験そのものの総体です。では、経験は時間と共に何に依って生まれるのか。経験するには、まずは何らかの事柄がなければならない。例えば歩いたり、人と喋ったり、なにか食べたり、運動したり、思索にふけったり……とにかく、行動ありきで経験は生まれます。そしてこの行動というのは生きている以上時間とは不可分であり、そしてまた行動次第によって自らの未来というのは如何様にも変わる。さらには行動と経験は相補的に働く。これをうまく表そうとすれば、二次元においてはすなわちグラフを形づくる関数そのものではないでしょうか。こうすれば、行動が時間と不可分であること、及び行動によりまた次の行動というのも変化するという点がうまく合致します。

行動には未来を変え得る力がある、これを二次元で解釈すればすなわち、行動しているその一瞬は方向性を持っていると考えられます。すなわち、行動はベクトルを持つ。そして、経験というのはあくまで行動の結果であるが、その行動の変化によって経験の量もまた変化する。行動が時間と不可分であるから、それに従って経験も時間と不可分である。これらの性質というのは、あたかも微分積分のようではないでしょうか。少なくとも、僕はそう思います。

行動の集合を連続関数と考え、更に微分積分的な考え方を導入する。これにより、以下のようになります。

f(x) = '行動'

f(x)dx = '経験'

図では経験 = experienceを省略し、Eとあらわしています。

f(x)dxはつまりリーマン和であり、それでは経験というのは瞬間的なものじゃないか、と思われるかもしれません。が、行動の示す関数は連続で、かつ時間と共にxの値が変化していきますから、それに伴って相補的に存在するものこそが経験という本質からすればまさにその通りなのです。

だからこそ、あえて人生を経験の総体とあらわしていたのですね。そう、人生は経験の総体。生まれてより死ぬまでの行動による経験ですからね。

これも数式と照らし合わせておくと、次のようになります。

₀∫¹f(x)dx = '人生'

 

……ここまでで大方の説明は終わりましたが、最後に0から1までの間にある空白についても考えてみましょう。

経験は行動により増減します。そして人は成長していく中で経験を積み、やがて老成する。しかし、その度合いには個人差があるからして、決してみな同じような人生は送らない。そして、ごくまれにはとてつもない成功を遂げる人もいる。また、幼少期の経験は時として往々にして未来に多大なる影響を及ぼします。このころの勉強への投資から素晴らしい未来が得られることもざらにある……。そんなことをひたすらに考えているうちに、ふと思いついたのです。この空白とはつまり、可能性なのではないか、と。あるいはかつての行動が違ったならば、自分は今頃もっと多くの経験を得られたのかもしれない……まさにそんなことを思った瞬間までの座標空間上の空白は、ありえたかもしれない可能性、それを示しているのです。この解釈に僕は1週間悩んでいたのですね。これも、図の方では可能性 = possibilityをPと省略してあらわしています。

 

ここまで、図を交えて説明した上で、ついに人生の積分によるモデル化、その中心に迫りましょう。なんせ積分に例えたのですから、数式(あるいは計算)によって人生を示してやらなければなりません。

 

用いるのはもちろん、区分求積法の公式。図中にもある、

lim n→∞ nΣk=1 f(k/n)*1/n = ₀∫¹f(x)dx

ですね。f(k/n)*1/nというリーマン和をk=1からk=nまで足し合わせる。更にこの際、nを無限大に飛ばしていくとx∈[0,1]におけるf(x)の定積分そのものになる。これを、今までに数字に与えてきた意味に置き換えて表します。

すると……

lim n→∞ nΣk=1 f(k/n)*1/n = ₀∫¹f(x)dx = ∫[(発生)→(死)](経験) = (人生)

という結果が得られるのです。

この式により、すなわち人生とは積分である。

僕はそう考えているのです。

 

 

さて、今回の記事はいかがでしたでしょうか。久しぶりの記事であり、また抽象的なことも憚らず書いたため、まったく読みにくいものになってしまったと思います。申し訳ない。

がしかし、それにしてもこの人生は積分であるという考えは他人に知ってもらいたかった。その誘惑には抗いがたく、拙いながら説明させていただきました。

ここまでお読みくださって、誠にありがとうございました。ひたすらに感謝の念でございます。

 

……さて、今回は終わりの言葉もちょっと普段とは違うものに。

僕なりに解釈してみるならば、人生は結局、経験の集合に過ぎません。そして、経験を得るには行動が不可欠です。世の中、何かにつけて大変なことは多い。辛いことも、恥ずかしいことも、悲しいこともある。そうした中で何か行動していくというのは実に難しいことです。しかし、そこであえて行動すれば。行動すれば、人生は変わる。

今の社会においては、たとえば勉強や他人とのコミュニケーション、あるいは労働に対して向き合い、考え抜くこと……これらはめんどくさく、なんともまた大変なことです。しかし、そうしたことから逃げるよりかは、思い切って挑戦してみる。行動してみる。すると、おそらくはしないよりかはよほどの苦悩と挫折、疲労を味わうが、それとともに自らの経験を増大させることができる。これらは今の社会においてはやって損することだし、自らの能力を高めることでもあるから、挑戦すれば、人生を描く関数の傾きを正の方向に大きくできるかもしれない。

そう考えてみると、どうでしょう? 一度きりの人生。死ぬまでに得られる経験の集合。それを味わい尽くすために、思い切って新たなことに挑戦してみるのもありなんじゃないでしょうか? 未来は、今にこそあるのですから。

 

それでは、また次の記事で。